相馬光子という女(前編)  ◆j1I31zelYA


【3】

御手洗清志の足元には、その死体たちが転がっていた。

白いタイルで固められた広い床に転がる、死体、死体、死体、死体。
ある者は首を切り落とされたり、ある者は全身をめった刺しにされたりしていた。
桃色の髪を二つにくくった少女もいれば、茶髪でショートボブの少女もいた。
全ての死体が、どろどろに濁った二つの眼球でもって御手洗を見上げていた。
生前の彼女たちが末期に抱いたであろう唯一の感情が、その両の空洞から漏れだし、御手洗を包む。
その感情とは、憎悪であり、糾弾であり、呪詛だった。

お前が私を殺したんだ。
お前が。
汚いお前が。
罪深いお前が。
きたないお前が。
人間であるお前が。

「全部、あんたのせいだわ……」

むくりと。
死体だった茶髪の少女が、その身を震わせて起き上がった。
少女のものとは思えない、恐ろしく低い声が、怨嗟の唸り声と共に耳朶をうつ。
空洞のように濁った瞳が、御手洗を縛る。
なぜ、息を吹き返したのか。
決まっている。報復するためだ。
分かっていて、しかし御手洗は、地面に足を縫われたように動けない。

「許さない。私たちがこんなに酷い目にあったのに、どうしてあなたは生きてるの」

いつの間にか。
その死体は、血のつたう両手に、弓矢のようなものと、石ころとを持っていた。
だらりと垂らされた腕が振りかぶられて、石が空に向かって放り投げられる。

「死んでしまえ」

そして、雷のようなスマッシュが、御手洗の腹を貫通した。

「ごっ……!」

腹部に丸い穴が空いた。
衝撃の余波で宙空へと飛ばされる。
御手洗の体はまるで木っ端のように吹き飛ばされ、何度か回転して地面に激突した。

「あ……ぁ……」

そして御手洗は、悟る。
アレの正体は、少女ではない。
少女の皮を被った、赤い悪魔なのだ。

「フフフ…………フヒャヒャヒャヒャ」

嘲りを含んだ哄笑と共に、少女はその顔を覆っていたマスクをべりべりべり、と引き剥がす。
既にその姿は、少女の立ち姿から男のそれへと変じていた。
露わになった相貌は、赤い顔色に赤い瞳をした、白髪の悪魔。

「ヒャアッハッハッハッハ!! テメェもそこの死体どもと同じに、赤く染めてやるよおぉぉぉ!!!」


「ぅわあああああああああああっ――!!」


御手洗の口から、絶叫が迸り、



ぱちりと、両の瞼が開いた。

視界が一瞬にして暗から明へと切り替わり、灰色の天井が、視界に広がる。

「ここは……?」
「やっと目が覚めたのね」

言葉をかけてきたのは、愛くるしい外見の、ただの少女だった。
眠っていた自分につきそうように、椅子に腰かけている。

御手洗清志は、ようやく目を覚ました。



【1】


デパート中央管理室の一室。
ベッドのある仮眠室の方ではなく、監視機器の置いてある部屋。
5人の少女が、車座になって座っていた。
それぞれがデパートの売り場から拝借してきたクッションを敷いて座り、深刻な情報交換の応酬を交わしている。

「越前リョーマは白地に青と赤のストライプが入ってるジャージを着てる。下は黒い半ズボン。白い帽子をかぶってる、背の低いヤツよ。
綾波レイの方はあたしと同い年。青っぽい髪で、アルピノみたいな赤い目をしてるから、かなり目立つわね」
「帽子の男と、青い髪の女ね。ありがと、『メール』の真偽が分かる人がいて、助かったわ」

御坂美琴たちはアスカの証言を信じて、『天使メール』を真実なのだと受け入れた。
無理もないことである。
『○○という人物は殺し合いに乗っている』という怪しげなメールが来て、それだけならば主催者からの誤報だと疑うことができたのだろうが、
「まさにその二人に、メール通りの手口で襲われた」と言う証人がいたのだ。
しかもその証言は放送の前になされたものであるから、アスカが『天使メール』に合わせた出まかせを言っている可能性も皆無。
美琴たちからすれば、アスカの証言はそう受け止められている。
アスカは内心でほくそ笑んだ。

「誰かが『メール』で警告してくれたってことは、もう何人も襲ってるってことですよね……あかりちゃん大丈夫かなぁ。すごく騙されそう」
「そうね。これから会う人にも伝えていった方がいいわよね」

相馬光子は、そんな2人を見ても反論しない。
むしろ『伝えていった方がいい』と煽ったりして、ついさっきの『カマかけ』が無かったように接している。
追従する形で発言してくれるなら、アスカとしてもやりやすい。
手を組んだのは正解だったかもしれないわね、と光子をいくらか見なおした。
ここに園崎魅音と相沢雅がいれば、よりアスカが主体で情報交換が進行したろうに、と未練もあった。
けれど二人がいなくなったからこそ、改めてアスカが『綾波越前襲撃事件』について語ることになっているのだった。
放送に対するそれぞれの感傷を済ませ、情報を整理しつつ今後のことを話し合おうという流れになり。
園崎魅音と相沢雅がデパートを去ったことで、彼女らの経緯を語れる人間がアスカしかいなくなった。
そこで、放送前に軽く話した合流までの経緯を、反復して説明しているのが現在のアスカである。
悪評に信憑性を持たせる為に、さらにアスカは付けたした。

「そいつら、本当に話し合いの余地はないと見ていいわよ。同僚の綾波なんて、私が生還するべきだとか言ってたもの。
人類を守る為なら、ここにいる数十人を犠牲にするなんて何とも思ってないみたいね」

それを聞いて、美琴とちなつは不愉快そうに顔をしかめる。
美琴などは、はっきりと口に出して否定した。

「何よそいつ。自分は選ばれた人間だから、人を殺しても許されるっていうの? バッカみたい」

どうしてよ、と不満の声を上げたくはあったが、内心に溜めておく。
悪評に聞こえるだろうと語ったことだけれど、自らの行動方針を『バッカみたい』と一蹴されるのは気に食わない。
こいつらが第三新東京の人間ならば、『エヴァンゲリオンのパイロットがいなくなる』のがどれほど大変なことか、肌身にしみて知っているだろうに。

「色んな『世界』から来てる人がいる以上、他の『世界』の人にも犠牲になれってことですよね。
それで生き残るべきだって言われても、納得できないです」

ちなつの言葉が、アスカの焦燥を端的に表していた。
ここにいる少女四人は、自らが暮らす世界の知識に食い違いがある。
情報交換の結果、明るみに出てしまった。
御坂美琴が住んでいる『学園都市』のことを、アスカやちなつや光子はさっぱり聞いたことがない。
超能力の研究をしている場所だと言われても、なおさら信じられない。
逆に、美琴もちなつも光子も、『セカンドインパクト』や『第三新東京』のことを知らない。
光子に至っては、『日本』という国名にさえ、よく分からないという顔をしていた。
妄想か、記憶をいじられたのか、はたまた漫画や映画の世界に飛び込んでしまったのか。原因を究明することはできなかった。
問題なのは、『エヴァンゲリオンのパイロット』がどれほど希少で人類に必要で、生還すべき存在なのか、誰も理解していないことだ。
『人類数全てを守る為なら、ここにいる数十人の犠牲ぐらい軽微である』という主張だって受け入れられない。
彼女らからすれば、『縁もゆかりもないどこかの世界を守るために犠牲になれ』と言われているようなものだ。
こんなに認識の隔たりがあるとは、予想していなかった。
『孤立』という心境が頭に浮かび、そんな弱い考えであるものかと強く否定する。
それでも、退かない。
今さら考えを改めることなんて、できるものか。
世界が違ったって必要な犠牲だ。一人で全人類を守れるアスカには、絶対に生還するだけの価値がある。

「それで、式波さんの怪我はその時に負わされたものなのね」
「ええ、そうよ。リョーマの持ってた武器は木の棒とボールだけだったから、油断してたわ」

そんな憂悶をおくびにも出さず、アスカは淡々と情報を提供していった。
問いただす美琴はあごに手をあて、真剣な面持ちで考え込んでいる。

「木の棒で撃ったボールでそれだけの威力を出したの? ……そいつ、肉体変化(メタモルフォーゼ)系の能力者なのかしら」
「えっと、『学園都市』の超能力には、そんな力もあるんですか?」

興味深そうに、吉川ちなつが尋ねる。
その目には、『美琴はそんなすごい世界の人間なのか』という憧憬が満ちていた。

「そうね、私も全部の能力を知ってるわけじゃないけど、色々あるわよ。
特に黒子のテレポートは便利よね。脱出の役に立つ可能性もあるし」
「テレポートって……瞬間移動のことですよね。そんな人たちが味方になってくれるなんて、心強いです~」

アスカの機嫌を損ねている事物は、他にも会った。
ひとつは、御坂美琴がアスカの予想をはるかに超えたトンデモ超人だったことだ。
約180万人の超能力学生が研鑽をかさねる『学園都市』の、第三位。
世界でたった7人しかいないエリート階級、『超能力者(レベル5)』の一人。
『電撃使い』という肩書はピンと来ないものの、どういうことができるんだと詳細に問いただした結果、そのスペックが規格外の超人だと思い知らされた。
体から十億ボルトの電撃を放出し、不意打ちで襲いかかっても電磁波のレーダーで察知されてしまうような少女を、生身の人間がどうやって殺せばいいというのか。
ちょっとやる気を出して殺し合いに乗れば、出来レースのように楽々と優勝できる力を美琴は持っていた。
しかし本人にその意思はなく、その能力を用いたハッキングで状況を打開しようなどと、全員を助けるための意見を出している。
美琴自身は鼻にかけなかったけれど、これだけ『頼りになりそう』な事柄を並べられたら、自然と発言力も大きくなる。
現に、美琴の後にアスカが身分を明かしても、『へーそうなんだ、すごいわねー』といった程度の反応でしかなかった。
褒め称えられたいわけではなかったけれど、『軍事関係者であり非常時の対応には秀でている』という強みをまるで瑣末時にされ、主導権を握られているのが不本意の根本にある。

「そんな能力を持った人たちの中で、御坂さんは三番目に強いんですよね。強くてリーダーシップがあるなんて、憧れちゃいます~」
「いや、三番目っていったって利用価値でしかないし、ちょ、ちょっと吉川さん、顔が近いかしら……」

いまひとつの不機嫌は、その御坂を吉川ちなつが、やたらと持ちあげていることにある。
ファースト・コンタクトの時点では、ちなつは集団で最も口数が少なかった。
スカートを失禁で濡らしていたのだから、口出しができる姿でもなかった。
しかし、放送の後に美琴を励ましに行ってからは、すっかり積極的になっている。
というか、美琴への追っかけ度が増している。
美琴から何かを学び取ろうとするかのように、後を付いてまわっている。
事あるごとに『御坂さんはかっこいい、憧れる』という主旨の言葉を連発し、しっぽを振らんばかりにキラキラした目で見つめる。

それを見たのが彼女をよく知るごらく部部員だったら、『まぁ、ちなつちゃんのテンションがちょっとおかしいのはいつものことだし……』と思っただろう。
歳納京子が見れば、『さてはちなつちゃん、結衣と再会した時に、別の女の人に懐いてる自分を見せて嫉妬させる作戦じゃないの?』とより鋭いことを言っただろう。
ちなつ自身は『守られるだけじゃなくて役に立ちたい』という決意も、『人が死んだ』という危機感もあるのだけれど、『それはそれ、これはこれ』なのである。
『守ってもらうだけじゃ満足できない』と、『憧れの人には王子様であってほしい』の欲望がきれいに両立しているのが、吉川ちなつという少女の業(ごう)であり乙女心だった。
アスカはちなつと初対面なのだから、そんなことまで分からない。
さらに言えば、彼女が美琴を持ち上げることで、その発言力がより大きくなっていることに苛立ちもある。

守ってくれる強者に媚びを売ることしか知らない、一般人の無能。
アスカの目に、吉川ちなつという少女はそう見えていた。

「それで、ミオンとミヤビのことはどうするの? あいつら、私たちの行き先が学校だって知らないはずよね」

いずれにせよ対処は後だと頭を切り替えて、アスカは話題を引き戻した。
ちなつについては、後々に対策だって用意してある。

「それが問題なのよね……。園崎さんたちもすることが終わったらここに戻って来ると思いたいけど……デパートに伝言か何かを残して行けたらいいわね」

美琴は眉間にしわを寄せていた。
別行動を認めたのはやっぱり痛かったかしら……と。口には出さないが、そういう葛藤が読みとれる。
ちなつと二人で戻ってくるなり、皆を守ると宣言した御坂美琴である。
本当なら守る対象に入れていた少女たちに立ち去られたことが、今になって響いているのかもしれない。
ベッドに横たわる少年がいる隣室をちらりと見て、

「何にせよ、まずはあの人が起きるのを待たないといけないわね。殺し合いに乗ってるにせよ違うにせよ、デパートにおいて行くわけにはいかないわ」

結局そこに落ちつくのか、とアスカは嘆息した。
美琴の方針は、これ以上の犠牲者を出さないこと。
つまり、殺人者かもしれない少年を放置してデパートを去るという選択肢はないのだ。
目の前のことにかかずらうより、さっさとハッキングできる施設に向かう方が最終的な被害を減らせるだろうに。
少年が起きるまでは、デパートで物資調達なんかを進めましょうということで、話し合いはお開きとなった。


【2】


「そう言えば、御坂さんが力を使うにはコインが必要だったのよね?」

そう切り出したのは、ベッドの上の少年に付きそう相馬光子だった。
曰く、このデパートにはゲームコーナーもあったはず。だったら今の内に探してくればいいじゃない。
コインの調達は美琴もデパート行きを決めたときに考えていたことである。
けれど、一人でこの場を離れるのには抵抗があった。
皆が余裕をなくしていた放送直後とは違う。
目覚めたら何をするかもしれない少年を、一般人の少女たちと一緒にしたまま不在にしていいものだろうか。
しかし、4人でぞろぞろと上階へ上がり、少年を一人にするリスクもそれはそれで大きいので却下。
加えて美琴の性格上、人にパシリをさせて自分が残るような真似は抵抗があった。
結局、何かあればすぐに館内放送でも何でも使って呼ぶようにと念を押して、美琴は管理室を出て行く。

美琴の足音が聞こえなくなって、しばらく。
まるで待っていたかのように、アスカが立ち上がった。
歩み寄った先は、内心で反感を持っていた桃髪の少女。

「チナツだったかしら……ちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」
「いいって、ここじゃダメなんですか?」

光子と御手洗の方を気にしたように身ながら、ちなつは困惑を見せる。

「御坂さんが戻るまで、バラバラになるのは良くないんじゃ……」
「なんでいちいちアイツの判断をうかがう必要があるのよ。それにアイツは動くなとは言わなかったじゃない」
「そんな言い方はないと思います」
「じゃあ何よ。アイツの指示を仰がなきゃ、何もできないってわけじゃないんでしょ?」

挑発じみた言動に、ちなつはむっとした顔になって立ち上がった。
それでも眠り続ける少年と相馬光子を気にする様子を見せたけれど、

「あたしなら大丈夫よ。何かあれば御坂さんを呼ぶし、無茶はしないわ」

光子は、にこりと笑って後押しをした。
こうして、アスカとちなつも早足で仮眠室を去って行った。

仮眠室に残されたのは、うなされるような声を漏らす少年と、にっこりとほほ笑む光子。
じっと、なかなか目覚めない少年を見下ろす。
ぴくぴくと瞼を細かく震わせる様子は、覚醒が近いことを意味していた。
光子は内面を読めない笑みを崩さぬまま、少年へと顔を近づけ。

「さあ、邪魔者たちがいない間に起きて」

その体を、強引に目覚めさせようと肩をつかんで揺さぶり始めた。


【4】


(配慮が足りなかったかしら……)

きらきらと輝く大きなメダル。
それを何枚も制服のポケットに仕込みながら、御坂美琴は内省していた。
険悪な関係をほのめかしていたとはいえ、アスカと綾波レイは同僚だったらしいのだ。
その彼女が聞いている前なのに、悪しざまに言いすぎた。

(我ながら、気遣いってものが足りないなぁ……)

友人はいるけれど、集団に溶け込んだ経験は少ない。むしろ人の輪からは浮いている方だ。
美琴だって、人との接し方には悩んだりするのである。
ただ、感情的になった原因は分かっている。

アスカ・ラングレーの語った『生還すべき人間だから殺し合いに乗っていい』という人間像が、トラウマになった出来事と重なったからだ。
上位の存在だから、何をしても許されると勘違いしているその愚かさが。
悪事を働きながら、それを悪いことだとも思っていない有り様が。
『妹達』を殺す実験の中心にいた、かつての敵に。
佐天さんだって、もしかしたらそんなバカ共の手にかかって――。

いけない、冷静にならなきゃと考えをうち切って、美琴はエスカレーターに乗った。
すぐ管理室には戻らずに、そのひとつ下の階に降りる。
目的地は、家電売り場の一角にあった。

「全品売り切れ……?」

デパートならば、PCの売り場もどこかにあるかもしれない。
デパートの事務室には回線が引いてあったし、それが見つかれば学校に向かうでもなく、主催者の情報を探り当てられる。
そう思い立って立ち寄ったのだが、『携帯、PC周辺機器』とプレートで示された棚は、すっかり空っぽになっていた。
赤字マジックで『入荷待ち』と書かれた貼り紙が、いかにもわざとらしい。

(主催者もハッキングは警戒してるってこと……? でも、だとしたら会場内に回線が引かれてるのはおかしいわよね)

そもそも、今日びのデパートの従業員室なら、PCの一台ぐらい置かれていた方が自然だろう。
しかし、それさえも見当たらなかった。意図的に排除されていると考えた方が自然だ。
とはいえ、主催者は現地調達自体には寛容であるらしい。
部分的に空になった棚は目立つものの、さほど違和感がない程度には物品が揃っていた。デパートのゲームコーナーなどもきちんとライトアップして営業しているし、レストランの冷蔵庫にも立ち寄ったけれど、食料がぎっしりと入っていた。
つまり、『その施設としての機能をきちんと果たせる程度』には、機材や小道具が整えられているということだ。
ならば『絶対にパソコンを必須とする施設』になら、PCも見つけられるということにならないか……。

(そうなると、第一候補は病院、第二候補が図書館ってところかしらね……)

『学校』という施設では少々心もとない。
学園都市で暮らすなら必須アイテムではあるけれど、外部の学校では授業の一環でたまに使ったり、教職員が持参したりする程度だろう。
現代の病院ならばすっかりIT化が浸透しているし、図書館ならば蔵書検索などの作業にパソコンを必要とする。
目的地が変わったことも相談しようと美琴は管理人室に戻り、

「…………式波さんと吉川さんは?」

仮眠室ががらんとしているのを見て、けげんな声を出した。

「二人きりで話したいとか言って、出て行ったわ……行き先は言ってくれなかったど、監視カメラで確認できるんじゃないの?」

ベッドの少年から視線を動かさずに、光子が答える。
少年の顔のあたりは光子の体に遮られて見えないが、まだ眠り続けているようだ。

「確かに動くなとは言わなかったけど……」

なんで皆ひとこと言ってくれないのかしら、と嘆息して、仮眠室から顔を引っ込める。
管理室のカメラに写った二人の姿は、デパートの屋上、イベント広場で見つけられた。

「なんで屋上なんかで……」

対峙するように立ったまま会話する二人は、何事かを言い争っているようだった。
仲たがいしているなら止めた方がいいのだろうか。それとも二人きりで話したいなら、割って入るのは無粋じゃないだろうか。
美琴の困惑を読んだように、隣室から光子が意見を述べた。

「あたしも別行動はどうかと思ったんだけど、この人を残していけないし……確かにあの二人はどこか険悪そうだったけど、こんな時に喧嘩するとも思えなかったわ」
「険悪そうだった……?」

それは、美琴が読みとれなかったことだった。
確かにアスカはトゲのある言動がかいま見えたけれど、明確な敵意を持っていたなんて。
それとも、美琴がいなくなってから両者を険悪にする何かがあったのだろうか。

「ごめんなさい、相馬さん。しばらくここは任せるわ」

喧嘩をしているかもしれないとなれば、割って入らずにはいられないのが美琴の性分である。
美琴は再び、上階へと引き返した。


【5】


御坂美琴の気配が消えて。

「……なんで、言わなかった?」

御手洗清志は半身を起こし、問いかけた。
首筋を、小さな『水の手』につかまれながらも、艶然とほほ笑む少女に。
その命を握っている『水の手』の先は、少女の膝の上にしゃがみこむ小さな『水兵(シーマン)』の体に繋がっている。
それでも少女は落ちつきはらっていて、美琴を部屋に入らせないように誘導する言動すらしていた。
喉を強くつかまれたまま、少女は小さく小首をかしげる。

「だって、ここで御坂さんに邪魔されたら、仲良くなれないじゃない」

変な女。
それが第一印象だった。

目覚めた御手洗に、最初はかいがいしく接しようとしてきた。
良かった、目が覚めたのね、大丈夫よ、ここにいる人たちはみんな殺し合いに乗っていないから、と。
いかにも『倒れていた男を介抱してしまった善人』らしく。
だから、取るに足りない女だと思った。
のどが渇いたと言って、ペットボトルを手に入れた。
そこから生みだした水兵で少女を捕まえ、仲間の情報を吐くこと、その仲間の元へ案内することを要求した。
まず情報を求めたのは、あの『赤い悪魔』に酷い目に合わされた反省もあった。
少女は、その瞳に涙を光らせて訴えた。
どうしてこんなことをするのかと、そんな疑問を訴えた。
健気さとか弱さが同居した、天使の哀願だった。
人間の持つ害意のことなど知らないのだろう、あいくるしい懇願が苛立ちを誘った。
苛立ちまじりに、悪魔の取引を口にした。
仲間の情報を差し出せば、お前だけは助けてやってもいいんだぞ、と。
たいていの人間は、そうすれば手のひらを返すはずだから。
少女は、すっと目を細めた。

そうしたいのはやまやまなんだけど、あなたが御坂さんを殺すのは難しいと思うわ。
くるりと。
コインを裏返すように、表情が冷たくなった。

とても軽やかな声で、少女は説明する。
このデパートにはとても強い『電撃使い』がいるから、水をどうにかするぐらいの能力では不利だということ。
他に二人ほど仲間がいて、特にその中の一人とは友好的な関係を築いているけれど、今のところ皆が自分に騙されていること。
狙いが読めなかった。
少女が実は『乗っていた』のは分かったが。
しかし、こんなに簡単に態度を豹変させるなんて、『信用ならない女だ』と見限られてもおかしくないというのに。
ただの馬鹿なのか、何かの罠を張っているのか。
困惑している間に、くだんの『御坂美琴』が帰ってきた。
そこから先は、さらに御手洗を驚かせた。
御手洗をベッドに押し戻し、何も異常がないかのように振舞う演技を見せられる。
しかし、驚きを通り越して理解できないことがあった。

「お前は何なんだ? 非力な一般人なのに、なぜ『水兵』を見て平然とできる?」

その少女は、『尋常ならざる腕力を持った水の化物』を相手に、顔色どころか目の色ひとつ変えていないのだ。
全く動揺を顔に出さず、いつ殺されてもおかしくない状況で、冷静に美琴をごまかした。

「あたしね、ここにきてすぐに御坂さんがビームを撃つのを見たの」

全く怯えていない。
むしろ、その真逆。
年相応にあどけない顔立ちは、自信に満ち溢れていた。

「その時は怖かったわ。だって、人間が光線を出すなんて、まるであり得ないことじゃない。
いきなり目の前に恐竜が出てきたら、誰だって腰を抜かすでしょ? あれはそういう怖さだったんだと思うの」

うんうんと、一人納得したように頷いている。

「でもね、ここにはそういう『不思議な力』を使える人がたくさんいるって分かったのよ。
だからもう、怖くないの。
だって、みんなエイリアンでもお化けでもない、人間だって分かったんですもの。
人間を殺せる電撃を出せたって、水の怪物を作りだすことができたって。
相手が人間なら、怖くないわ」

人間だから、怖くない。
その言葉に、御手洗は鼻を鳴らした。
いくら度胸が据わっているからって、やっぱり一般人だ。
分かっていない。
人間の方が本物の妖怪より、よっぽどおぞましいというのに。

「人間が怖くないなんて、そんなことがあるもんか」
「じゃあ、あなたはどんな怖いことを知ってるの?」

好奇心で瞳を輝かせ、少女が顔を近づけて来た。
そこから目を逸らす。

「……人間を、嫌いになるようなことだよ」

頭に浮かびかけたのは、恨みがましげな無数の視線。
夢をみるたびに現れる、『人間なんてみんな殺してしまえ』と責め立てる視線。
その隙をつくように、少女が更に顔を寄せた。
ささやくように、耳元で言葉を放つ。

「だから殺し合いに乗ったの? 人間みんなが嫌いだから?」
「――――ッ! 当てずっぽうを、言うな」

心に土足で踏み込まれ、激昂が起こった。
水兵にそいつの首を折れと命令しかけ、しかし言葉にするまでの間に躊躇いが起こる。
ここで殺せばそれこそ『御坂さん』とやらを敵に回すのではないか、この状況で挑発するなんて何かの策略ではないか、
そういった躊躇が、理性の手綱をひっぱった。
あるいは、その『理性が切れないギリギリの地雷を踏んだ言葉』さえも計算通りではないのかと想像して、ひやりとする。
どうにか激情を冷却させた御手洗に、少女はさらなる言葉をかける。
「ねぇ」と、親しみのこもった言い方だった。
まるで、ちょっと好きになった男の子がたまたま隣の席に座った時に、話題を探して話しかけようとするような。



「あなたって――いい人ね」



思いもよらない言葉。
なぜ、どこからそんな単語が出て来たのか。
それまでの御手洗は、少女を『水兵』で脅したり、殺し合いに乗ったことを明らかにしたりと、万人が見ても『いい人』の行動などしていない。

「それ、どういう意味だよ」
「いい人はいい人よ。ただ、この『いい人』っていつでも『悪い人』になり得るんだけどね。
ともかく、いい人に見えるわよ。だって、悪い人や汚い人を見て、『人間なんて嫌いだ』って思うんでしょ。
周りの人間みんなが汚れてるかもと思ったら、それが不安でたまらないんでしょ?
潔癖じゃない。いい人だわ」

うたうように語り続けながら、少女は顔だけでなくその身を御手洗に寄せてきた。
椅子ではなくベッドに腰掛け、そこに片足まで乗せる。
スカートがめくれ、なまめかしい白い脚が投げ出された。
その仕草におののきながらも、あまりの無防備さに御手洗は動けなかった。
『領域』はとうに解除され、水兵は床の水たまりと化している。

「そんなの詭弁だよ。ものは言いようってやつだ」
「そんなことないわ。証拠ならあるもの」
「どんな証拠だよ」

御手洗の真正面に、少女の顔があった。
その顔が口端を釣りあげ、左右対称のきれいな頬笑みを見せる。
微笑したまま、その口が動いた。

「あたしは、少しも『悪い』なんて思っちゃいないもの。っていうか、どうでもいいの。
あたしは、奪うためなら何でもやる。やりたいように、やる。
だから、あなたは『いい人』を捨てられてない」

一言、一言、区切るように。
御手洗の脳に刻むように、言葉を刷りこんでゆく。
ただの女子中学生の言葉なのに、御手洗はなぜか、その言葉を『嘘だ』と思うことができなかった。
それでも僅かな理性がやっぱり詭弁じゃないかと言っていて、だから御手洗は問いを重ねる。

「じゃあ……お前は、泣いてる子どもを殺せるか?」
「殺せるわ」
「母親の目の前でも?」
「簡単に殺せるわ」
「逆に、子どもの目の前で母親を殺せるか」
「もちろん」
「殺した死体をずたずたに切り裂いて、頭蓋骨を割って脳味噌を取り出せるか?」
「捌く方法さえ知ってれば、できるわよ」
「じゃあ、生きたまま刻めるか? すり潰せるか? ぐちゃぐちゃにできるか?」
「腕が疲れない範囲でお願いしたいわね」
「その死体を調理して食えるか?」
「食べたことなんてないけどね。必要ならやるわ」
「楽しみながらできるか?」
「笑顔ぐらい、いつでも作れるし」
「お前は……」

こいつは、何なのだろう。
形容する言葉を探そうとして、初めて御手洗は気付く。

『黒の章』に登場した人間は、誰も彼もが醜かった。
醜い人間の姿で、おぞましい行為をしていた。
しかし、ここにいる少女は――とても美しかった。
美しく、誇り高く、笑っていた。
百年も千年も生きている老獪な女悪魔が、おきゃんな少女の姿に化けたように。

「お前は……真っ黒だ」

褒め言葉と受け取ったのか、にこにこと笑った。

「そうかもね。でも、だからこそあなたの『助け』になれるはずよ」
「助け? ……人間を信用してない僕が、真っ黒なお前を?」
「とびっきり悪いから、できることがあるんじゃない」

肩に、あたたかくて柔らかいものが触れる。
少女が肩を回してきたのだと知覚した。

「あたしは、どんなことだってしてあげるわ。
仕留めたい獲物がいるなら、そいつを油断させてあげる。
標的を上手く騙して、狩るタイミングを教えてあげる。
でも、それだけじゃない。
『死ね』以外の命令なら、なんだってきく。
体だってあげるし、あたしをどんな風に扱ってもいい。
自分のやっていることに迷いを持ったら、肯定してあげる。
怖い夢を見たり、嫌なことを思い出してしまったら、慰めてあげる。
あなたがどんなに酷いことをしても、堕ちても、絶対に嫌いになったりしない。
だって私に比べたら、あなたはとってもキレイなんだもの。そうでしょう?」

肯定する。
嫌いにならない。
汚い人間なんかじゃないと、言い続ける。

甘美な言葉の数々が、御手洗清志という人間に、どっと流れこんできた。
お前は汚くなんかないという否定。
それは、あの仙水でさえ言ってくれなかった言葉だった。
他の人間とは違う、偽善の余地もなく真っ黒な少女の口から出た、まじりけのない肯定。
しかし、恐怖もあった。

「そんなことを言っても、最後には、僕のことを殺すんだろ……?」

そう。
たった一人しか生き残れないルールである以上、少女の狙いはそこにある。

「そうなるかもしれない。でもね、それはあなたにだって言えることよ。
あなただって、あたしを処分する機会はある。
そして、これが一番大事なことなんだけど。
そうなったとしても、あたしはあなたを絶対に恨まない。
だって、あたしもあなたを殺すつもりでいるんだもの」

だから『恨みっこなし』なのよ、と。
少女は、気付けば背後に回り、
手のひらで御手洗の視界を塞いで、
熱い吐息と共に、御手洗の鼓膜を振るわせた。

恨まない。
『よくも私を殺したな』という、視線を向けられることがない。
あの悪夢に出て来た、死体のような眼で御手洗を見ない。
夢を見るたびにうなされた、あの光景から解放される。

ぴたりと。
少女の体が、御手洗のそれに密着する。
薄布一枚を隔てた柔らかい胸部が、しっとりと背中に寄り添った。

それは、自分を利用する為の、偽りの温もりだと分かっていて、
しかし、どうしても振りほどくことができない。
なぜなら、それは偽の愛情ではあっても、決して欺瞞ではないのだから。
少女の言葉には、一言も偽りがなかったのだから。

「あたしがあなたを『助けて』あげる」

ああ、そうだ。
僕はずっと。
誰でもいいから。
『助けて』くれと。
それだけを、求めていたのだ。


最終更新:2021年09月09日 19:02