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帝都を制圧した皇帝は、効果的な銃火器の運用でフロミスタ聖領との決戦にも大勝をおさめ、帝国南部での地盤を確固たるものとした。
旭日の勢いの皇帝は、追い詰められていたヴェイセンベルク同盟とモエシア公国の残存軍をも吸収、新たに帝都と定めたテッサロニキの要塞化を推し進め、旧モエシア領を焼き払い、沿岸部を進撃してくる魔軍との接触に備えた。 帝都の防衛能力と直属の近衛兵の練度に絶対の自信を持っていた皇帝は、自ら二正面作戦に挑み、北伐を宣言。 南部で新たに動員された新兵を含む軍の過半を宰相アルカに一任し、北部への移動を開始、自らは精鋭軍を率いて帝都に籠城した。こうして、西方世界の支配権を賭けた決戦の火蓋が切って落とされるのだった。 帝国の北部では、オアスン王国とヴェストファーレン公国の激戦が続いていた。数度の会戦はオアスン側の勝利に終わったが、補給の続かないオアスン軍の進撃は続かず、事態は消耗戦の様相を呈していた。 そして更に北部では、ポツダム大公が東進を開始、弱小諸侯を制圧し、ジェチポスポリタ王国に歩を進めていた。 ドーフィネ王国とフランドル王国の戦いは、奇襲によってフランドル王が戦死した事であっけなく幕を閉じた。 優勢な軍備を誇ったフランドル軍は混乱の中で全面撤退、帝国に助けを求め、追撃するドーフィネ軍に対して強固な抵抗を見せていた。 ドーフィネ王は大軍をフランドルに投入出来なかった。その原因は南部の動乱にあった。 バシリカ周囲を制圧し、教皇庁への謀反を決行したコンドッティエーレ騎士団は、周囲の都市国家を糾合しウィトゥルス共和国を樹立。 世俗主義を標榜して教皇との全面対決の構えを見せ、またその実権を握っていたローヴェレ枢機卿はドーフィネの拡張主義に対しても敵対的な姿勢を隠さなかった。 東方世界では、各地域が統合の方向に向かっていた。仲では北洋藩鎮が帝都を制圧し、旧帝国領の多くを制圧し、自らを帝国の後継者と称していた。 タメルラーノ帝国も失地の多くを回復し、大軍勢を動員して、タメルラーノ南部に橋頭堡を確立していたETPCの派遣軍に対抗せんとしていた。 本拠地での決戦に敗北した灰羊教団は禁断の古代兵器を起動、挽回を狙いつつあった。そしてジパングでは信が全土を統一、国内の土豪達に中央政府への帰順を要求し、大外征の開始を宣言していた。 これに対してETPCは本国で反乱が勃発、東方を圧する近代装備を誇りながらも、周辺諸国の急激な勃興と軍拡に一抹の不安を抱えていた。 |
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